1月 Memento mori
Today is the first day of the rest of your life.
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「禄はスカボローフェアの意味を知ってるか?」
いや、と首を横に振るとニカは雪を払いながら抱えた銃に掘られた名前をそっと指先でなぞる。
墓標の様に佇んでいた銃がいやに彼女の腕の中でしっくりと収まり、かえって違和感を覚えさせた。
「この歌は、大切な人ともう一度逢うために遺された歌なんだよ」
雪に閉ざされた12月31日。
最期の年を迎えるまで、あと──。
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【20XX年1月1日】
カタンカタン、カタンカタン
鋭い金属の音は小気味よい一定のリズムを刻みながら段々と近づいてくる。
眩いヘッドライトが暗い地下のホームを照らし、一際甲高い音を立てた後にゆっくりと止まった。
デューク「本当に乗るのか?」
ニカ「ああ、その方が早く着く」
半年以上共に旅をしたバスから荷物を運び出し、一夜を超えて年を越す。
世界がもっと違っていたら、大きな荷物を抱えた子供たちが楽しげに旅行しているように見えただろうか。
いや、この1年間の旅は旅行だったのかもしれないとニカは思う。
最後に残された1年の、思い出の詰まった家族旅行。
それならばこの日記は、
ニカ「(手紙でも遺書でも無い、これは紀行文だ)」
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慈深「...わあ、すごい」
デューク「地下都市か、初めて見たな」
暗いトンネルを抜けると、ぱっと差し込む白みがかった人工的なオレンジの光。
地下一帯が照らされ、沈んだ建物や研究施設が群れを生し、都市を形成しているのが見える。
慈深「この中に、最後の楽園もあるんでしょうか?」
デューク「そうかもしれないな。地上より安全だし、生物兵器に荒らされていないところを見ると地下にあるんだろう」
遠くで長い線の上をチカチカと点滅灯が走っている。
地下都市内に敷かれたレールはまるで供給パイプのように張り巡らされ、施設同士を繋いでいるようにも見えた。
デューク「まるで血管だな」
慈深「え...?」
デューク「どこかに、何かを送っているんだろう。この列車も、他のものも」
人間で言う心臓を動かすために、血液を絶え間なく廻すために。
施設の機能を殺さないために?
【最後の楽園もあるかもしれない】
いや、列車の終点は恐らく最後の楽園なのだろう。
列車の速度はバスよりも速い、上手く行けば数日中には楽園にたどり着けるかもしれない。
けれど、楽園に辿り着けば本当に救われるのか?
旅の終着点が見えたことに安堵しながらも、微かに残る不安がすっきりとしないまま胸に燻り続けていた。
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ニカ「それじゃあ、話をしようか」
揺れる列車、過ぎる街並み、伸びていく影。
当たり前のように見てきた風景に、非日常が混ざりあう。
反対車線から向かってきた列車とすれ違う狭間、騒音にかき消される前に、小さくも大きくもない声で、賽は投げられた。
禄「それは、」
ニカ「まあ順を追って説明するよ。その方がわかりやすい」
禄「...わかった」
拾った銃に目を向けた禄に微笑みかけて、ニカはすっと息を吸う。
昔話を言い聞かせるように、優しい声音で、けれど淡々と、少女はただ事実だけを呟く。
─終わりの前の、始まりの話を。
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かつて少女は旅をしていた。
今と同じように、今とは違う家族で。
リーダーだった少女の姉は、頼りがいのある弱音を吐かない、強い人だった。
弟や妹たちからも慕われ、一見旅は順風満帆のように思えた。
【自分たちは誰一人欠けずに楽園まで辿り着けると本当に思っていた】
けれど幸せは長く続かない。
生物兵器に、或いは進行度に、大好きだった家族はあっという間に殺された。
ある日、雪が降り始めた頃。
末期症状を患った14歳の弟が生物兵器に嗾け、わざと家族を襲わせた。
末期症状だった弟は、手にかけた。
せめて苦しまないように一発で。
けれど家族は、守るべき弟や妹は誰一人救えなくて、あんなに狭かった車内は気づけば二人になっていた。
12月になった。
結論、少女たちは楽園に辿りつけなかった。
姉は、末期症状を患っていた。
そして、少女も。
少女は、【Nika Miklina】は、世界の未来が見えていた。
今よりも荒れた世界、そしていずれ家族が死んでしまうこと。
誰よりも早く、その真実に辿り着く。
大好きだった姉の顔は、黒く塗りつぶされてもう顔もわからない。
受け入れたくなくても、運命は変えられない。
それならいっそ2人で死のう、そう思っていたのに。
姉は、いつの間にか拾っていた【抗菌剤303】をニカに使った。
「まだ生きてる人を、新しい家族を、助けてあげてね」
人に頼ることをしなかった姉が遺した、最期の言葉だった。
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ニカ「...でも、打たれた抗菌剤は、完成していなかった。試作段階だったんだろうな」
豪「......、ニカ」
ニカ「いいんだよ、覚悟は出来てる」
長く下ろしていた右袖の下には、真っ白な腕輪が隠されていた。
日常の一部に組み込まれた非日常の一つ、タグに表記されているのは、真っ青な蛍光色にERRORの文字。
即ち、進行度5を表していた。
ニカ「正気だよ、一応ね。でも心配なら此処で殺してもらっても構わない」
禄「...左のタグは?」
ニカ「体の半身に症状が残ってる。だから左のタグは正常数値みたいだな」
禄「今まで隠してたのは、」
ニカ「...ごめん。ずっと、嘘ついてた」
哀しいほど綺麗に、そして疲れたように笑うニカに禄は思わず目をそらす。
正気とは言え、実際体にどれだけの影響があったのか。
途中で倒れたり、眠り続けたり、少なくとも良い影響で無いのは間違いないだろう。
彼女の姉が弱音を吐かなかったと言っていたが、彼女も大概だろうと禄は思う。
けれど、今まで独りで抱え込んできた少女を糾弾しようとは到底思えなかった。
エルランテ「別に気にしねーよ。俺らと変わんないっていうのは、ずっと一緒にいた俺らが1番わかってんだろ」
ベルヴァルト「そ、そうなのです!お姉ちゃんが嘘ついてたって、置いてったりしないのです!」
予想外、という顔だった。
殺されはしなくとも、少なくとも今まで通りには接して貰えないと思っていた。
それなのに、彼らは受けいれ、挙句には未だ家族だと、そう言ってくれている。
豪「家族だって言ったのは、ニカだよ。そんな簡単に切れるわけないじゃん」
エルランテ「俺たちは全員で楽園に行く。...連れてってやれなかった奴らもいるけど、俺はもう誰の手も離さねぇ」
ベルヴァルト「家族みんなで、笑って楽園にいくのです!」
列車が止まる。
気圧を抜く音と共に扉は開かれ、一人では辿り着けなかった場所が姿を現す。
一緒だったからこそ、希望を捨てずに此処まで来れた。
これこそが、生きた軌跡。
そして、人の力が起こした奇跡なのだろう。
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ニカ「...シモン、ごめんな」
列車を降りる間際、シモンは言葉にしようとして結局振り返らずに先へ進む。
今更何を後悔したって、諒は帰ってこないのだから。
また、上手く眠れない。
目を閉じれば、赤い鮮血が、憎らしいほどに煌めく偽物の指輪が、ちりちりと焼け焦げたフィルムのように浮かび上がって離れない。
ニカ「誰も守れなかった、なんて思わないでくれ...」
誰も救えない、守れてもいない。
諒がいて、ようやく救われた気持ちになっていたのに、気づけば太陽は堕ちてまた夜に閉ざされている。
ニカ「前を見ろとは言わない。...でも、いつか上を見てくれ。星を見上げるのと同じように」
前は見えない。
暗闇の中、月に囚われたまま。
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【side ウィリ、玲雄、翠】
翠「末期症状になったら、どうなるんでしょう」
第3シェルターに続く水銀灯に照らされたホームの中で足音が大きく反響する。
列の最後尾を歩いていた翠が、一際響くヒールの音を気にしながら言うものだから、隣にいたウィリも首を傾げた。
ウィリ「さあ?...さっきのリーダーの話?」
翠「...こうして生きていることって、すごい事なんじゃないかなって思うんです」
ウィリ「だろーな。まあ俺はすごいし当たり前だけど」
強がっているわけでもない、いつも通りのウィリに安心していると自然に笑みが零れる。
当たり前だと思っていたことは、実は存外奇跡に近いことで。
裏を返せば、奇跡が終われば明日にでも居なくなってしまうかもしれないということ。
翠は、未だにそれが受け入れられなかった。
玲雄「も〜、無駄口叩いてないでさっさと歩いて欲しいっす」
ウィリ「別に無駄口なんて叩いてねーし」
翠「ごめんなさい、離れたら危ないですよね!」
前を向けば先頭から少しづつ距離が空いて、慈深が心配するように後ろを振り返っているのが見える。
最近はこういう事が多い、危機感が足りない。
自覚の無いまま、命の危機に晒されていることを【忘れている】。
ウィリ「そもそもこのウイルスって、何なんだろーな」
翠「別惑星の最新鋭のウイルスで、治す手立てがないこと位しか...」
玲雄「なんすか急に」
ウィリ「人類の大半は、生物兵器に対抗できなくて死んだ。お前の家族だってそうだろ?」
玲雄「...さっきから何が言いたいんだよ」
ウィリ「生物兵器だけで戦争に行った大人は殆ど死んで、追い打ちで仕掛けたウイルスは残った子供への影響力が弱い」
じゃあ、これは一体何を殺すためのウイルスだったのか?
【side 努、ノル、累、コノハ、萌黄】
努「...ノルちゃん、元気ないっスね」
コノハ「うん...昨日からずっとあんな感じ」
第3シェルターに入り、楽園に繋がる列車のホームを探すこと一時間。
ノルは心ここに在らずと言った様子で宙を見つめ、時折何かを考えるように俯いていた。
努「話、聞いた方がいいっスかね」
コノハ「...いや、迷ってるみたいだしノルちゃんが話したくなるまで待っていよう」
努はもう一度心配そうにノルを見つめてから、小さく頷いた。
萌黄「研究室...?シェルターにも研究室があるんだ」
鉄製の引き戸に掲げられた比較的新しいプレートは、戸の錆具合を見るに後付されたものなのだろう。
プレートの下にはうっすらと別のプレートが剥がされたような跡が残っている。
努「あれ?この名前、何処かで...」
ノル「...努」
努「ノルちゃん?どうし......え?」
奥底にしまわれていたかのように深い皺が刻まれた、沢山の文字が書かれインクが滲んでよれた紙をノルはそっと努に差し出す。
ノル「...パパとママが、ノルに遺してくれたの。...でもノルじゃ分かんないから、努が読んで」
努「お父さんと、お母さん...?」
ノル「大事なこと、思い出したの。この紙のことも」
今までは、早く楽園で両親に会いたくて、誰かに両親を重ねてしまうのだと思っていた。
けれど、本当はただの現実逃避で、生きていると思い込みたかっただけ。
動かなくなった諒にシモンが冷たい土を被せていた時、息を引き取った両親を自分の手で埋葬したことをノルは漸く思い出した。
努「これ、ウイルスの研究資料...?」
ノル「パパとママは有名な学者なの。...、最後は研究やめちゃったけど」
累「...おい餓鬼ども、入るぞ」
ノルから資料を受け取り、急いで部屋に足を踏み入れると中は薄暗く広い部屋だった。
机の上の紙は書きかけのまま止まっており、使われた万年筆はペン先が剥き出しのまま放置されている。
ゴミ箱はぐしゃぐしゃに丸められた紙で溢れかえり、幾つかは床に落ちていた。
コノハ「本棚の本はウイルスと、生物兵器に関わるものが多いみたいだ」
萌黄「そういう研究してたってこと?」
コノハ「そうだと思う。...旧式のビデオテープも残ってる」
本棚の中から引っ張り出した日焼けたパッケージを開けると、頓着しない人だったのだろうか、中身は全く違うテープが入っている。
パッケージの劣化に対しビデオテープの損傷は少なく、年数の違いが目に見えた。
累「コノハ、それ貸せ」
コノハ「う、うん。傷ついてないから再生は出来ると思うよ」
部屋の片隅に置かれた小さなテレビの下に敷かれた、埃被ったビデオデッキを起動させる。
軽快な機械音と共にビデオテープは飲み込まれ、暫くすると真っ暗だった画面に画質の悪い映像が映し出された。
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初めまして、研究員です。
そこにいる貴方がこの映像を見ている時、私はもう生きていないと思います。
もうこの世界に、楽園を追い出された大人が生きていく場所は無い。
だから、せめて、残された子ども達のために真実を語ろうと思います。
未来ある貴方たちの人生を、汚い大人に踏みにじらせないために。
...知ってのとおり、この星は別惑星との戦争に事実上破れています。
生物兵器に為す術なく、軍人の数は減り、養成機関は追いつかず、最早誰の目で見ても敗戦は明らかでした。
けれど、政府の連中は諦めなかった。
政府は、Graywalkerさん...いえ、とある研究員が開発した対生物兵器サンプルを盗んだ挙句、勝手に手を加え人体にどんな影響があるのかも分からないまま、軍に流用させました。
それが、今この星に蔓延しているウイルスの正体です。
最後の楽園などと称したあの場所は、ウイルスを開発した無菌室。
言わば最も罪の重い人間だけが蔓延る、楽園などとは無縁の場所です。
彼らは子供たちを集め、もう一度別惑星に戦争をしかけるつもりです。どうか、大人は信用しないでください。
本当の楽園は───、
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All the truth in the world adds up to one big lie.
【20XX年1月】▹【20XX年2月】