11月 John Doe
Cold and raw the north wind doth blow,
Bleak in the morning early;
All the hills are covered with snow,
And winter's now come fairly.
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【20XX年11月】
窓の外は暗い雲が差し掛かって、星の見えない夜がやってくる。
白く薄化粧された処女雪の道をヘッドライトが仄かに先を照らしていた。
助手席から振り返っても、後ろには誰も居ない。
初めは*人、今は二人、最後は何人だろう。
雪空の下、置いていった兄妹たちの温もりが未だ微かに残って、伽藍と空いた空間との温度差が余計に寒さを強くした。
もう、前も後ろも右も左も、辛いだけの現実を視たくなくて固く固く瞼を閉じる。
──、起きて。
耳は塞がなかった。
呼んでくれる声は、まだ耳に届くから。
──、起きてよ。
上から、声が聞こえる。
誰かが私を待っている。
長く閉じていた重い瞼を開けると、酷く泣きそうに大きな瞳を揺らしながら豪は、おはようと声を漏らした。
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駆け巡った四季も遂に冬を迎える準備を始め、空から白雪が穏やかに降り注いでいる。
少し前から雪がちらつき、分厚い雲が太陽を隠し熱を遮っているためか、11月だというのに辺り一面は雪景色だ。
豪「凄いでしょ、外。11月なのにもう真冬みたい」
曇った窓ガラスを指でなぞり、外の様子を眺める豪の視線を追う。
ニカの記憶が途切れた時期からはだいぶ時間が経っているらしく、月にして凡そ2ヶ月ほど目を覚まさなかったと先程豪からは聞いていた。
ニカ「...なあ、」
豪「なぁに?」
2ヶ月、眠っていたにしては体は綺麗だし服だって起きていた頃と何ら変わらない。
きっと豪が身の回りのことを世話してくれていたことは言わなくても分かる。
ニカ「...何も、聞かないのか」
気づかなかったのだろうか。
いや、ニカの様子に対して豪が気づかないことは有り得ない。
確信しているからこそ、何も聞かない豪に違和感を覚える。
豪「...ニカはニカだから。今も昔も、これからも」
本当に頭が上がらないな、と思う。
彼女がくれる言葉はいつだって、1番欲しいと思った答えだ。
【side.デューク、エルランテ、ベルヴァルト】
ベルヴァルト「寒いとあったかい飲み物が飲みたくなるのです!」
鼻頭を赤く染めて小さな手に息を吐きながらもベルヴァルトは元気そうに走り回る。
彼女の言う暖かい飲み物が子供が強請るような物でない事に出会った頃は驚いたが、今となっては慣れたものだ。
エルランテ「戻ったらホットミルクでも飲むか?」
ベルヴァルト「ウイスキーも入れて欲しいのです」
以前はデュークが酒はまだ早いと母親のように口を酸っぱくして言っていたが、今日まで聞き入れたことは一度もなかったので、溜息をつくに留まっている。
ベルヴァルトが喜ぶ姿が見たくて、エルランテも何だかんだと探索中に酒を探すのが癖になりつつあるのだから、恋とは恐ろしいものである。
ベルヴァルト「エルくん、あれって」
先頭を歩いていたベルヴァルトが急に立ち止まり少し遠くの岩陰を指さす。
デュークはエルランテにベルヴァルトを任せ、その岩に慎重に近づいた。
風が強くなって悪い視界の中でも、人工的なその色は際立って目立つ。
岩にもたれかかって微動打にしない無機物の様な其れは、かつては人だったのだろう。
胸元に咲いた紅い花と崩れ始めた体が、灰色の景色の中に取り遺されていた。
【side.ニカ、玲雄】
玲雄「もう動いても平気なんすか」
少し距離を話して振り返らずに問うと、以前と変わらない明るい笑い声と共に平気だよと返ってくる。
本当に平気なのか無理をしているのかは分からないが、玲雄にとっては別段関係の無い事だった。
わざわざ心配する萌黄を残してまで探索に出たのはこんな話をするためではない。
玲雄「もう、殺そうとはしないんすね」
今度は振り返ってみると、一瞬神妙な面持ちをした後にニカはまた小さく笑う。
誤魔化そうとしていたことがバレた、そんな微笑み方だった。
ニカ「気づいてたのか」
玲雄「俺の直感をなめないでほしいっす」
気づかれていたならやっぱり無理だった、なんて隠す様子もない口振りから、本当は殺すつもりなど無かったのではないかとすら思えてくる。
いや、殺すつもりはあったがしたくなかった、という方が正しいのかもしれないが。
少なくとも、今のニカが例え邪魔が入らなかったとしても玲雄に手を出すようには思えなかった。
ニカ「ごめんな、腕掴まれたのも嫌だっただろ」
玲雄「...まぁ」
こうもあっさり謝られると返って毒気を抜かれるというか、何とも言えない気分になる。
許す許さないの問題ではなく、そもそも殺そうとした事実すらあったのか、それすら疑ってしまいそうな錯覚すら覚えるのだから人との信頼関係とは摩訶不思議だ。
玲雄「いや、もういいっす。それより、先に行った諒さんを追いかけないと」
こくりと頷いてまた、前に進む。
かつて命を狙われた相手に背中を見せるのが怖くないのは何ともおかしな気分だったが。
──、もしも自分が末期症状を抱えたまま仲間と共に居続けたとしたら。
それはきっとリスクだろう、だから彼女も危険を排除しようとした。
それを間違いだとは思わない。
自分が生きていたせいで大切な人が、萌黄が傷ついていたとしたら、もっと早く殺して欲しかったと願っただろうから。
【side.禄、豪、シモン】
禄「本当に行かせて平気か?」
豪「うーん、多分?」
バスの外、見送った背中を見つめながら曖昧に笑ってみせた豪に、呆れたように息をつく。
何とも煮え切らない返事ではあったが、彼女なりに考えあっての事だろうと一応は信じてみることにした。
シモン「...それで、話ってなんだ」
シモンは呼びつけた豪に向き直ると、今度は豪が禄を見据える。
豪「禄、隠してることあるでしょ」
禄は逡巡し沈黙を重ねたあと、罰が悪そうな顔をしながら、ゆっくりと袖をまくり腕を出した。
その先に示されている答えは一つだ。
禄「オレを、降ろしてくれないか」
18歳には未来がない、次がない。
言われなくたって自分の体だ、それは一番よく知っている。
19に近づくに連れ進行の速度は段々と早まる、数ヶ月もすればあっという間に。
豪「だ、だめ。楽園につくまで、諦めない」
禄「...、でも」
豪「だめ、ニカはそれを望んでない」
その答えにそうか、とだけ呟いてそれきり禄は口を噤んだ。
思い留まってくれたことにほっと息をつきながらも、自分達だって例に漏れず19までのカウントダウンが迫っていることを否が応でも思い出す。
シモン「なあ、楽園に辿り着いたとして俺たちは生き残れると思うか」
頭上に影が落ちて、鬱蒼とした空気が煩わしい。
じっとりと重い冬の気配が近づいている。
この世界は本当に美しくシモンの瞳に映るというのに、それすらもまやかしでしかないないのなら、楽園なんて本当に存在するのだろうか。
一つ灯された明かりは頼りなく、影の中で瞬いた。
【side.コノハ、萌黄、慈深、ノル、努】
周囲の探索に出かけた家族を待ち続けて一時間ほど経った頃。
第二シェルターでデュークたちが見つけてきた資料に目を通していると時間の流れはあっという間に感じられた。
萌黄「コノハ、コーヒー入れたよ」
暗黙の了解で何となくコノハがいつも使っている質素な薄緑のマグカップをテーブルに置いて、萌黄は隣の椅子を引く。
コノハ「具合は?もういいの?」
萌黄「うん、ノルちゃんももう大丈夫だって」
その言葉通り先程まで布団に潜っていたはずのノルも寝癖を付けた髪を揺らしながらコノハの向かいの席に着いた。
身を乗り出しながら広げていた資料を眺めてノルは小さく首を捻る。
ノル「これ、ノルたちが第二シェルターで見つけたやつ?」
コノハ「そうだよ、色々興味深いことが書いてあるんだ」
ぱらぱらと薄い紙をめくる素振りを見せながら覗いていたノルにそう答えた。
書いてあったことが難しかったためか、興味を失ったようにノルはまた布団にふらりと戻ってしまう。
その様子を微笑みながら見つめ、また劣化した資料に目を戻す。
萌黄「コールドスリープ、だっけ?」
コノハ「うん、第二シェルターの人達はそれを試したみたいだね。成功しているのかは分からないけど」
資料を持ってきたデューク達の話によれば、第二シェルターの地下の奥に冷凍保存庫があったらしい。
開けていないので真偽は不明だが、恐らく彼らはコールドスリープを試験したのだろう。
いつかまたこの世界で暮らせるその時まで、生き延びるために。
努「ただいま戻りましたっス!」
慈深「あ、萌黄さん!起きてたんですね」
探索から戻った2人に萌黄はコーヒーを入れようと立ち上がり、努と慈深は服に付いた雪を払いながら入れ替わり空席に座った。
先程のノルと同じように2人もまたコノハの手元にあった資料を興味深そうに覗き込む。
慈深「努さん、コールドスリープって本当に可能な事なんですか?」
努「うーん、SF映画とかではよく見る字面っスけど実際は...ジブンも専門外なんでよく分からないっス。音楽のことなら何でも聞いて欲しいんスけどね」
そうだろうな、とコノハも同意する。
人を冷凍保存して何百年何千年の時を越せるのかなんて、正直理解の範疇を超えている。
成功しているのかしていないのか、どちらにせよコノハ達が知ることは無いだろう。
彼らが目覚める頃に、きっとこの星で生きてはいないだろうから。
コノハ「楽園を目指せない大人たちがコールドスリープを実験したってことらしいけど...」
努「なら、あのシェルターはそういう役割ってことなんだと思いマス。大人にとっての最後の楽園ってトコっスね」
慈深「じゃあ、あの鐘は外からの侵入者を防ぐためってこと…なんですかね」
大人にとっての生き延びる手段、それを守るための鐘と利用された生物兵器。
そしてふと、コノハはあることに思い至る。
コールドスリープが成功するのなら、最後の楽園の大人たちはどうしてそれを実践しようとしなかったのか。
できない理由があったのか、若しくはコールドスリープは【楽園に選ばれなかった大人たち】の応急処置なのか。
考えれば考えるほど、様々な情報が錯綜して最早迷路のようだった。
踊らされている、とでもいうのだろうか。
どうにも燻り続ける違和感を振り払うように、少し温くなったコーヒーに口をつけた。
【side.累、ウィリ、翠】
ウィリ「大事な人に残された人ってどんな気持ちになるんだろうな」
突然そんな事を言い出したウィリに思わず眉を寄せると別に深い意味なんてないけど、と次いで言葉を投げかけられる。
少し離れたところにいる翠に視線をやりながら、ウィリは累に訴え掛けているようだった。
累「...どうもこうもねぇよ。ただ、残されたって事実と助けられなかった罪悪感が残るだけだ」
白い息を吐きながら、口にした言葉は出してしまえば簡単なものだが実際にはずっと胸の内に残って消えない傷になる。
自分係に死ねば良かったと何度思ったって、時間は巻戻らないし死んだ人間は帰ってこない。
ウィリ「ふーん...」
累「なんだよ急に...」
ウィリ「置いてくつもりなんてないし、俺が死ぬなんて有り得ないけどさ。でも万が一があったら、どう思うのかって気になったらだけ」
ウィリにも後ろを振り向こうとする気持ちがあるのかと累は少し驚いた。
無意識なのだろうか、それでも彼も旅をする前とは確かに変化しているのだろう。
累が、ロクシーの死で変わり始めたように。
翠「何の話ですか?」
ウィリ「翠、もう歩けるか?」
もう大丈夫だと言う翠の返事を皮切りに、累も預けていた背を離し帰路を辿る。
誰かにかつて置いていかれた、残された側の気持ちは痛いほど累には分かる。
けれど、今度は自分が置いていく側になるのかもしれないと残り3つの光をみて悟る。
翠「累さん...?」
累「何でもねぇ、餓鬼は自分の心配だけしてろ」
余計なことを考えるにはまだ早い。
いつかくる別れの日までは、もう少しこのままで。
【side.諒】
諒「あれ?2人ともどこいったんだろ...」
吹雪が遠くを遮って、後ろにいたはずの2人の影は見えない。
こんな所で逸れるなんて想定外だ、兎に角単独行動は危険だ。
ましてやこんな天候の中、生物兵器と遭遇でもしたら、
諒「......ぇ」
雪に閉ざされた世界の中で、其れは大きく腕を振り上げていた。
こんな所で死ぬのか、誰にも見つけられないまま。
諒「やだ...」
また一人、残される?
諒「シモン、たすけ......」
後ずさった拍子に何かを踏んだ。
固い棒のような、布を纏ったナニカ。
つまづいて足元を見たとき、初めてそれが人だったものだと諒は理解しただろう。
生物兵器に殺され、誰にも知られないまま死んでいった子供たち。
仰向けに倒れていた死体の胸もとに書かれていた名前を見た時、諒は自分が襲われていることも息をすることも忘れていた。
【××× Miklina】
「大丈夫か?」
勢いよく吸い込んだ冷気が肺を凍らせる。
浅い呼吸を繰り返すと、いつの間にか追いついていたニカが諒の背中を軽く擦る。
諒「せ、生物兵器が!早く逃げないと...」
ニカ「...これはもう動いてないよ」
音もしない、動きもしない、まるで時間を切り取られたようにただ無機物が遺されていただけだった。
かつて萌黄やノルがやった様に、誰かが、いや周りで息絶えた子供たちが生物兵器の機能を停止させたのだろう。
ニカ「寒いだろ、戻ろう」
冷たい雪の上に座り込んだままの諒に伸ばされた手はすっかり冷えて、必死に諒を探していたことが分かる。
信頼感出来るリーダーで、姉のような存在。
それは今日まで変わっていない。
いや、本当にそうなのか?
変わっていることに、気が付かないだけ?
『持ち物に名前をちゃんと書きなさいって教わらなかったか?いや、まあウチは家族が多いからなのかも知れないけどな』
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A lie cannot live.
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