6月Hazardous area
Life isn't worth living, unless it is lived for someone else.
きっと、あの人も同じように思っていた。
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【20XX年6月】
太い雨粒が金属の天井を叩いて、甲高い音を奏でる。
夢を見ているのだろうか、意識は未だ移ろったまま滝の如く降り注ぐ雨に耳を傾けた。
『──けて、***』
土と血に汚れた手を、必死に伸ばして。
『─助けて、**ちゃん!』
黒く潰された、それは、一体ダレだ?
酷い頭痛で目が醒める。
あの日伸ばされた手を、忘れてはいけないのに。
そうだ、初めて**が***のも雨の日だった。
もしも、あの日に還れたら、繰り返せるのなら、
私は、やり直せるのだろうか。
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豪「流石にこうも毎日雨ばっかだと気が滅入っちゃうよねぇ」
季節は春を終え、夏に向かおうとしている。
本格的な梅雨入りでこの所晴れ間は見えず、ナビに映し出された天気予報も雨マークに支配されていた。
豪「なんか頭もずきずきするし」
諒「低気圧のせいかもね。豪ちゃんも横になったら?」
ベルヴァルト「...う?豪お姉ちゃんもいっしょにお昼寝するのです?」
豪「じゃあ、お言葉に甘えてベルと一緒に寝よっかな〜!」
ベルヴァルト「豪お姉ちゃん体冷たいのです、ぎゅ〜っ!」
姉妹のように戯れていた2人が、やがて寝息を立て始めた頃、
窓の外を見つめていた翠が隣に座っていたウィリの腕を小さく引く。
翠「...あれって、」
濡れた窓ガラスと深い霧に阻まれて霞む風景の奥、独特なフォルムの要塞じみた無骨な廃墟が亡霊の如く佇んでいた。
ウィリ「軍事基地か?...壊れてるけど」
翠「地図にも載ってないみたいですし、秘密基地かもしれません!」
ロクシー「...秘密基地、ねぇ」
半壊した建物を横目に、ロクシーは考えを巡らせながら足を組みかえる。
釈然としない様子に違和感を覚えたのか、ウィリは怪訝そうに眉をひそめて、どうした?
と声を掛けた。
ロクシーは何も答えず、ただじっと窓の外を見つめて、
ロクシー「...リーダー、あそこに行こう」
ぽつりと、静かに言い放つ。
禄「ま、待って!?この辺りは生物兵器が居るかもしれないから危険だ!」
ロクシー「分かってる。けど、霧も濃いしヤツらから姿も隠しやすい。...何かあるような気がするんだ、此処には」
真っ直ぐなマゼンタの瞳に射止められ、禄は諦めたようにため息をつく。
彼女の勘はよく当たる、其れこそが最大の説得材料だ。
車内が静まり返ったのを結論とし、ニカは車をゆっくりと止める。
ニカ「わかった。...ただし、絶対みんなで帰ること。それが条件だ」
ロクシー「安心しな、必ず護ってやるから」
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【side.ニカ、デューク、ウィリ、ノル】
昼間とはいえ悪天候も相まって廃墟の中は薄暗く、時折ばちばちと音を立てて点滅する非常用扉の緑の光だけが、不気味に明かりを落としていた。
同じように人工的な緑色光を放つタグは手元を仄かに照らし、闇の中ではより一層際立って見える。
ノルが左手首を隠すように手を組んだことをニカは見逃さなかった。
ニカ「...ノル、タグ見せて」
ノル「何にも変なところないよ!」
ニカ「進行度上がってるんだろ。...頭とか痛くない?」
ノル「.........、ちょっと、痛い」
引き返そうかとも悩んだが、長居するほど状況は悪くなる一方だろう。
少し逡巡した後、すっとしゃがんでノルを背におう。
デューク「代わるか?」
ノル「......やだ」
ニカ「ふふ、平気だよ。ウィリ、懐中電灯持って先に進んでくれ」
かちかち、とスイッチを数度入れ直すと新たな光源が道を照らす。
ウィリが周囲に灯りを向けると埃の舞う光の中、【抗体研究資料室】と書かれた黄ばんだプレートが赤錆びた鉄の扉に掲げられていた。
【side.禄、エルランテ、諒、努】
同時刻、別の入口から侵入した諒たちは崩れた瓦礫に道を塞がれ先に進めずにいた。
倒壊した天井から、弱い雨粒と共に日の光が零れ、辺りはそれほど暗くは無い。
諒「あちゃ〜、これは迂回するしかなさそうかなあ」
エルランテ「おい、禄どうすんだ......禄?」
割れた天井の隙間から見える空を呆然と見つめる禄に、エルランテが眉をひそめながら話しかける。
それを見兼ねた諒が勢いよく背中を叩くと、はっと我に返った様に振り返った。
禄「ご、ごめん。...何だっけ?」
諒「別の道探そうかって話!もう、しっかりしてよ」
努「あ、それなんスけどココの穴から反対側に出られそうデス!」
諒「おお〜!つとえもん、良くやった!」
努「えへへ...ちょっと照れるっスね、その呼び方」
エルランテ「でもよ、この穴禄が通るのは無理ねぇか?俺でぎりぎり通れるくらいだぜ」
努「なら、ジブンが禄さんとここで待ってるっス」
もしも瓦礫が崩れた時に男手があった方が楽だ、という努の機転で諒とエルランテは穴を通り脇道へと進む。
やがて、壁や天井が剥がれ落ち鉄骨が晒された、最早建物の形を成していない開けた場所に辿り着く。
そしてその中心、2人の身の丈よりも遥かに大きな黒い板が荒野の砂に深く突き刺さっていた。
諒「何、これ?」
【side.シモン、累、ロクシー、慈深、翠】
翠「此処って結局何なんでしょう?」
砂にまみれた荒地を冷たい雨に当てられながらゆっくりと歩む。
施設の外壁はコンクリートで固められており時折落書きのような物が見受けられた。
元々は台形のような形をしていたのであろう建物は、半分が崩れ今では見る影もない。
累「さあな。地図にも乗ってないなら本当に秘密基地かもしれないぜ」
翠「...何か秘密基地って響き、ワクワクしちゃいますよね!」
慈深「ちょっと分かるかも...」
累「...はしゃぐのもいいが、ちゃんと警戒しとけよ餓鬼ども」
ぴたり、と先頭を歩いていたシモンが止まる。
つられて和やかな雑談を広げていた面々も顔を上げると、壁と同じ色の3メートルは優に超える大きな扉が待ち構えていた。
電気回路が生きているのか、近づくと埃を立てながら重い扉が開き始める。
シモン「...開いた」
累「システムの方がお釈迦になってるが、自動ドアの回路だけはまだ繋がってるみたいだな」
ロクシー「生物兵器に見つかるのは面倒だ。早く進もうぜ」
桃色の髪を靡かせ、1人奥へと進むロクシーを翠と慈深が慌てて追いかける。
まるで統一感のない動きに、シモンは密かに胃を痛めた。
累「まあ頑張れよ、最年長さん」
【side.ニカ、デューク、ウィリ、ノル】
ギィ、と鈍い音を立てて開いた扉の奥は酷く黴臭く、長年空けられていなかったのだろうと容易に想像できる。
室内を懐中電灯で照らすと、ステンレス製のラックが規則正しく並べられており、その上に積み上げられていた箱の中身がちかちかと眩く反射している。
ウィリが近づき小さなコンテナを覗けば、大量のガラスの注射器が敷き詰められていた。
ウィリ「何に使うんだ、これ」
デューク「...中身が入ってるのもあるぞ」
別棟の箱から持ち出した注射器には、青い蛍光色のドロリのした液体に、ガラスの側面にプリントされたNo.001の文字。
他に研究資料などもなく、用途は分からずじまいだ。
デューク「どうするリーダー、これは持っていくか?」
ニカ「...いや、それはいい」
ウィリ「ならさっさと出ようぜ。...気味が悪い」
デュークが元あった箱に注射器を戻し、ウィリは足速に部屋から立ち退いた。
鉄の扉をもう一度締め、外を目指し長い一本道を歩き出す。
ニカ「......プロトタイプ、こんな所にあったのか」
ノル「...?」
【side.禄、エルランテ、諒、努】
じわりと湿った冷たいコンクリートに背を預け、禄は宙を眺めていた。
物思いにふけっている場合では無いことは分かっている。
ただ、どうしてか太陽が何時もより眩くてその光から目が離せなかった。
努「禄さん、大丈夫っスか?」
禄「あ、うん。ごめんな、何かぼけっとしまてて」
努「...、有名な音楽家Mr.クリムも言ってたっス。辛い時は辛いって言っていいって」
まさか心配されるとは思っていなかったのか鳩が豆鉄砲をくらったように禄は驚いた顔をする。
年下の、それも女の子から励まされてしまったことに少しの恥ずかしさと、不甲斐なさを感じたが好意はきちんと受け取っておくべきだ。
禄「...そっか。あのさ、そのMr.クリムって一体誰なんだ?」
努「......え?いや、Mr.クリムは有名な音楽家で、」
今度は努が目を丸くした。
まさか自身が尊敬する音楽家に突っ込まれるとは考えてもみなかったのだろう。
だって、Mr.クリムは、その言葉は、
───、?
諒「ただいまー!!」
エルランテ「戻ったぜ」
禄「おかえり。何かあった?」
穴を通ったせいか砂埃まみれになった2人がようやく無事に帰還した。
よいしょ、と立ち上がってスカートを正した諒がエルランテと目配せをして状況を語る。
諒「なんて言うの?板があった!」
エルランテ「でっけーやつな」
頭にはてなマークを浮かべながら2人が話す情報をまとめ、努はとある可能性へと行き着いた。
それならば、あの現象も説明がつくかもしれない。
努「板の周りは壁が全部壊れてたんスね?」
諒「そう!鉄骨むき出しだったよ」
努「まるで上から降ってきたみたいだったと」
エルランテ「天井にも穴空いてっからな」
努「その鉄骨は錆びてたっスか?」
諒「うーん、雨に晒されてるし多少はね。でも、そんな何年も前からってほどボロボロになってた感じはしなかったけどな」
努が何を確認したいのか、3人は予想もつかず置き去りにされていた。
そうして、努はその可能性を示唆する。
努「それ、人工衛星じゃないっスか?」
努「空から降ってきた黒い板、時間がそんなに立ってないむき出しの鉄骨。おそらく1ヶ月前に落ちたGPS衛生かと。それなら、車のナビが使えなくなったっていう現象にも納得が行くんスよ」
諒「ちょっとまって、人工衛星ってそんなに簡単に落ちるものなの?」
努「いやいや、そんなわけないじゃないっスか」
諒「......一体何が起きてるの?」
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シン、と静まり返るバスの中。
コーヒーカップを置く小さな音ですら大きく響く。
未だ眠っている豪とベルヴァルトに気遣ってのことか、外に出ていった皆を案じているためか。
何にせよ、誰も口を開く様子はない。
ずっと眉間に皺を寄せ窓の外を頬杖をついて見つめていた玲雄が、遂に立ち上がり車のドアに手をかける。
コノハ「どこに行くの」
玲雄「生物兵器を、片付けに行く」
コノハ「あのね、ニカちゃんは君の体調を心配してここに残したんだよ?」
今にも外へ飛び出しそうな玲雄を、コノハはそのか細い腕で引き止めた。
玲雄「...分かってる」
コノハ「なんにも分かってない!ニカちゃんが、君を、家族を、どれほど大事に思ってるか」
玲雄「......オレは家族じゃないッ!」
勢いよく腕を振りほどく玲雄に、コノハは一歩も引かずにその目を見据える。
がたん、と椅子を倒し立ち上がった萌黄が俯いたまま涙を堪えて玲雄に近づいた。
萌黄「もう、やめて」
萌黄「これ以上、喧嘩しないで」
震えた声で必死にその腕に手を伸ばす。
彼が1人で抱えすぎたものを、どうか家族にも分けて欲しいと願うのに。
どうしてこんなにも上手くいかないのだろう。
豪「こらー!女の子泣かせちゃダメでしょ!ほら、仲直り仲直り!」
一体何時から起きていたのか。
みつあみの解けた緩い髪を揺らして、豪は萌黄の肩を持つように抱き寄せる。
─あのね、玲雄。もう一人じゃないんだよ。
だから、もっと頼ってよ。
【side.シモン、累、ロクシー、慈深、翠】
施設の中は暗く時折ゴトン、と大きな機械が動くような音がする。
累は懐中電灯をつけ、広い廊下を照らすと何度も叩きつけられてひしゃげた扉や、廊下の奥へと引きずられたような掠れた赤黒い線が生々しく残っていた。
累「...シモン、駄目だ。引き返すぞ」
シモン「何があっ...た、」
そこから先は続けなかった。
本能的に察するだろう、人間程度の力では到底叶わない存在がこの場所にいることに。
慈深「...シモンさん、」
シモン「戻る。...急げッ!」
何かあった時のために入口付近の部屋に待機していた慈深と翠を先に外へと出す。
シモンがもう一度奥を振り返った時、その存在はもう、すぐ近くまで迫っていた。
─生物兵器、人類の未来を絶った一因が。
累「...だめだ、あの速さじゃ逃げ切れない」
シモン「なら、俺があいつを引き付けて、」
累「最年長者は、ちゃんと餓鬼どもを見ててやらないと駄目だろ」
全員が一直線に外まで駆け抜ける。
累の言う通り、このままバスまで走っても生物兵器の魔の手が迫る方がきっと速い。
もう、策がそれしかないのなら。
自分より小さな命を守るためならば。
シモン「絶対生きて帰れよ」
ほんの少し、累が微笑んだような気がした。
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誰かの命をつなぐために、犠牲になれば自分だって救われるはず。
大きな巨体の前に自慢のスナイパーライフルの掲げて、累は立ち塞がった。
こいつを殺せはしない、けれどそれでいい。
彼らが逃げ切ることが出来れば、勝ちだ。
銃口から真っ直ぐに飛び立つ弾丸を、的確に目玉に撃ち込んでやる。
激高しながら腕を振り回す生物兵器の猛攻を避け一発、また一発、少しでも時間を稼ぐように撃って撃って、撃ち続ける。
累「(まだ、全然...足りないのに、体力が、もう)」
嗚呼、こういう時に小憎たらしい赤毛のアイツのような体力があれば、なんて。
腕が重い、息が上がる。
──次は、どう動けば、
「累!...危ないッ!!」
人間が、いとも簡単に死ぬことを知っている。
咄嗟に投げ込まれた手榴弾と、目の前に散る赤い鮮血がやけにハッキリと目に焼き付いていた。
【side.累、ロクシー】
ロクシー「...もういいって、」
爆発の煙によって、視界を潰された生物兵器から命からがら逃げ延びたが、彼女は、ロクシーは酷い傷を負っていた。
頭部から腹部にかけての出血は止まらず、肩を貸す累の衣服を赤く染めあげる。
累「...、なんで戻ってきた」
ロクシー「...だから、言ったろ?」
ロクシー「全員必ず護るって」
自分を含めなければ意味が無い、そんな言葉を累が言う資格がないことは分かっていた。
もう、彼女は助からない。
分かっていても受け入れたくない。
けれど、受け入れなければならない。
人一倍冷静に、生きるための最善策を取る。
それが、月城累を命をかけてまで守ったロクシー・ルークへの弔いになるだろう。
崩れた瓦礫の壁の傍に、そっと傷ついた四肢を下ろす。
ロクシー「はは、...キャラ被りが居なくなって、良かったな」
累「......もう、喋るな」
本当にこれが最期だ。
累は、ロクシーの頭に手を乗せる。
これだって何の罪滅ぼしにもならない自己満足だ。
それでもロクシーは嬉しそうに笑った。
そろそろ行かなければ、待たせている仲間たちも危ない。
もう一度振り返ったその時、辺りに生物兵器の咆哮が鳴り響く。
ロクシー「ほら行けよ...早く!」
今度こそ、後ろを向かずに地を駆ける。
彼女のように、前だけを見て。
ロクシー「...一人は少し、寂しいなあ」
それでも、後悔などしていない。
段々と霞む視界の先に、愛しい家族が走り出す姿が見えたのだから。
──もう、いいよね。
重くなった瞼を閉じて、少女は永遠の眠りについた。
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Where she has gone, she will feel no pain.
それでも、/日記の先は破り取られている
翠と慈深が生物兵器に関する資料を見つけてきてくれた。
中身を読んでいて分かったことだが、あの施設は生物兵器の研究所の一つだった。
彼らは主に視覚情報に従って行動しているようだ。
彼女が、施設に行くと言ってくれなければこんな事は分からなかった。
ありがとう、良い夢を。
【20XX年6月】▹【20XX年7月】