8月 Noah's Ark

Control your own destiny or someone else will.
✎︎____________


【20XX年8月】

《ほら見て、夏の大三角!》

夜空に散りばめられた星の中でも、一等輝く点を繋いで浮かび上がる三角形。
氷が溶けて薄くなったコーヒーに口を付けながら、つられてゆっくりと顔を上げた。

「...方角を見るために毎日見てるだろ?」

《...そうね。星って、沢山のことを教えてくれるのよ。例えば宇宙の広さとか、比べて私たちの小ささとか》

■■■は届きそうにもない高い光に手を伸ばす。
立ち上がって背伸びしたって、星の降りそうな夜空には指一本だって触れられないのに。

《─きっと、宇宙でみんな待ってる》


嗚呼、夏が来た。

✎︎____________


豪「あっつ〜い!!!」

蒸し暑い車内は45度を超え、17人を詰め込んだバスは酷く息苦しい。
余裕を持っていたはずの燃料は、連日の暑さの所為で空調管理すら惜しむ程に消費してしまっていた。

諒「一昨日エアコン付けるの我慢すれば良かったぁ!!」
豪「もう無理無理無理〜!お姉さん茹だっちゃう!!エル、水ぅ〜...」
エル「うるせぇ騒ぐなアホ女!あー...アタマいてぇ」

あまりの暑さのせいか軽く目眩がする。
エルランテが額を抑え項垂れていると、頬にひんやりと冷たいものが押し当てられた。

ベルヴァルト「エルくん、頭痛いのです?」
エルランテ「大したことねぇよ...ベル、酒冷めるぞ」
ベルヴァルト「いいのです、エルくんが元気になってくれるなら」

少しだけ体の熱が逃げて、酒瓶に温度を移していく。
けれど、時間が経てばじわりと肌にまとわりつく暑さに流石にこたえてしまう。
普段は賑やかな車内も皆、口を開く気力すら無いようでシンと静まり返っていた。

ニカ「禄、その先右折だ」
禄「...ん?どこ、ここ??」
ニカ「その次」
豪「ねえニカ〜まだぁ?」
ニカ「あと10分」

いつもであれば近く感じる距離も、この灼熱地獄にあと10分も耐えなければならないと思うと自然とため息が出てしまう。
窓の外には、目的地まで残り数キロメートルと書かれた廃れた白い看板が立っていた。
8月上旬の真夏の太陽の下、蜃気楼が揺らめく先へ、小気味の良いエンジン音を鳴らしながら焼けたコンクリート上を走る。


✎︎____________


翠「前の研究施設より大きいんですね...」
ノル「この地区で2番目に大きな軍事基地?なんだって!」
翠「きっと1番はもっと大きいんですよね!ワクワクします...っ、あれ?」

翠が一歩踏み出そうとすると、急に平衡感覚が狂ってバランスが崩れる。
隣に居たウィリが咄嗟に手を伸ばすと、軽い身体がぽすんと腕に収まった。

ウィリ「す、翠?」
翠「ご、ごめんなさい!ちょっと貧血気味みたいです...」

翠は力無く笑いながら、そっとウィリの腕を離れる。
もう大丈夫です、と一人で立つ姿は普段と何ら変わらないように見えたが何処と無く儚げで消えてしまいそうな、そんな嫌な予感が過る。

ウィリ「無理すんなって、」
翠「無理してません!...ウィリくんにばっかり迷惑かけられませんから」

もっと頼って欲しいのに、迷惑だなんて思ってもいないのに。

ウィリ「(俺が、役に立たないから?)」

誰も、必要としてくれない。

ニカ「ウィリと翠、あと禄も。エルランテとと一緒にここで待機。代わりにベルは来てくれ」
ベルヴァルト「は、はいなのです!」
ウィリ「...は?何で俺まで、」

ウィリの胸元に救急キットを押し付けて抗議は聞き入れないというようにニカは踵を返す。

ウィリ「俺は出来る!!!」
翠「...ウィリくん、」

先に進んでいく背中に幾ら叫んでも、1度たりとも振り返ってくれなかった。
本当に、もういらないから?

禄「まあ、落ち着けよ。リーダーにもきっと考えがあるんだ」
ウィリ「......、お前に何がわか」
禄「らないけど、俺たちを見捨てる様な真似はしないよ、ニカは」

そうかもしれない、と少しでも思うから良く回る頭を回転させても反論出来ないのだろうか。
言葉に詰まって黙りこくったウィリの腕に翠は手を重ねてたった一言、皆さんの帰りを待ちましょうと微笑んだ。


✎︎____________


施設の入口に4人を残し、奥へと進む。
今まで見てきた場所とは違い、つい最近まで使われていたように手入れが施されていた。
真っ白な電灯がリノリウムを反射して艶めかしく照った廊下には綿埃一つ見当たらない。

諒「うわ、床ぴかぴかじゃん」
慈深「だ、誰かいるんでしょうか?」

手入れ無しにこの状態を保つことは不可能だろうと慈深は言う。
もしも、生存者が他にも居るならば心強いことこの上ないが。

累「...まさか探すなんて言わないよな?」
ニカ「最優先はバッテリーの確保だ。...もし生存者を見かけたら声をかけてくれ」
累「......甘ぇよ。他人の事なんて気にしてる場合か?」
ニカ「無理して探せとは言わない。見つけたら、ってだけだ」

累が口を噤んだことを了承と取り、編成を分けていく。
バラバラに動くのは危険ではあるが、何より時間が惜しい為だ。
楽園へ一日でも早く向かわなければならない。
一分一秒が何時だって命取りなのだから。


✎︎____________


【side.ニカ、豪、シモン、諒】

豪「ここ涼し〜!もう外出たくないなぁ」
ニカ「ほら、頑張って探せ。バッテリー交換したらまた冷房付けられるから」

外とは違い空調の整った室内はまさに極楽、楽園と言っても過言ではない。
気の抜けた返事を返す豪に、ニカは思わず苦笑する。
そんな二人のやりとりを懐かしむ様に諒は後ろから眺めていた。

シモン「...どうかしたか?」
諒「ううん。ただ昔から変わんないなあって」
諒「豪ちゃんはちょっと抜けてるしニカさんは頑張りすぎるし、そういう足りない所を埋め合わせてるの。歯車みたいに、全然形は違うのに回りだしたらカチッと噛み合っちゃう」

橙の目を細めて、思い出を語る。
彼女の瞳に映るのは、まだ世界が終わる前の二人の背中。

諒「私の自慢のおねえ...先輩なんだ!」

少し照れくさそうに笑う諒につられてシモンも自然と口元が緩む。
大切な家族と、大切な恋人と、いつまでもずっと一緒に居られたらきっとそれだけで幸せなんだ。
けれど、悲しい顔を見たくはないから。
シモンはそっと左手を隠した。



【side デューク 努 慈深 】

長い廊下の壁には幾つもの扉が並んで、まるで迷路の様だ。
宝探しをするように、扉を開けては閉め、開けては閉めてを繰り返す。

慈深「こ、こんなに沢山の部屋を全部回ってたら日が暮れちゃいますね...」
デューク「...疲れたか?」
慈深「大丈夫です!まだまだ行けます!!」

足でまといにはなりません!と意気込む慈深にそうか、と優しく頭を撫でる。
慈深が幼いながらしっかりしている事は分かっているが、無理をしていないかデュークは少し心配だった。
子供扱いをするなと怒られてしまうかも知れないが、もう少し周りに甘えてもいいのでは無いかと思わずにはいられない。

一人で抱え込んで、誰かが傷つくのはもう、

慈深「ほんとのほんとに大丈夫です!」
デューク「そ、そうか...」
慈深「努さん!次の扉も開けちゃってください!」
努「了解っス!!」

努が勢いよく扉を引くと、そこには──

努「清掃ロボット...?」
慈深「もしかして、掃除してたのは人じゃなくてこれ?」
努「みたいっスね...」

他に生き残った人がいるかもしれないという淡い期待はどうやら外れてしまったらしい。
少し残念だが、解明は出来たと努は満足そうに笑った。



【side 累 ノル ベルヴァルト】

ベルヴァルト「...累お兄ちゃん、これはなんて読むのです?」
累「医務室」
ノル「ベル!あとでニカに漢字教えてもらお!」

和気あいあいと話す二人を他所目に累は一つ溜息をつく。
子守りなら適任が別にいるだろうに、と。
内心で悪態をつきながらも、鉄の引戸を開けると、中は病院の診察室の様になっていた。

累「ハズレだな。おい、次行くぞ」
ベルヴァルト「ちょっと待って欲しいのです」

累が訝しそうに振り返ると、ベルヴァルトは戸棚をがちゃがちゃと物色し、仕舞われていた薬品の仕分けを始める。

累「時間がねえんだ。さっさと行かないと、」
ベルヴァルト「これとこれ、これも使えるのです。あとこれは、」

幾つかの薬瓶を累に差し出して、最後に青く光る液体を見せる。
透明な硝子小瓶に302のラベルが貼り付けられた其れは、数ヶ月前ノルが抗体研究資料室で見た注射器の中身と類似していた。

ノル「これ、持ってこ。多分、ニカが何か知ってる」
累「それで全部か?なら、もう行くぞ」
ベルヴァルト「待っててくれて、ありがとう。...累お兄ちゃんは、置いていかないのですね」

隠れた瞳は相変わらず何を考えているのか累には分からなかったが、寂しそうな声音を含んでいたのは果たして気のせいだったのだろうか。



【side 玲雄 萌黄 コノハ】

萌黄「はぁ〜責任重大だよぉ」

小さなダクトを潜り明かりの下を目指す。
今回彼らが任されたのは鍵のかかった部屋に繋がるダクトから室内へ侵入すること。
体が小さく小回りがきく、14歳の少年少女が適任だったのである。

玲雄「廊下は綺麗だったのに埃っぽいなココ」
コノハ「流石にダクトまでは掃除しないよね」

這って進んだ奥に光が漏れ、降りられる場所に辿り着く。
上から室内を見下ろすと、中は無人で狭い書庫のような空間が拡がっていた。
順々に下に降り一番目につく場所に置かれた本棚を見ると、作戦概要と書かれたファイルが隙間なく詰められている。

コノハ「えっと、どれどれ。...宇宙間戦争作戦概要...、こっちが、人類移住計画と、ノアの方舟?」
玲雄「...なあ、これって地下室か?」

コノハと萌黄が資料を漁っている間に、玲雄は床についた不自然な四角の跡を見つける。
切り取られたようなその跡に付けられた取っ手を引くと、地下へと続く先の見えない階段が姿を現す。

コノハ「鍵、かかってないんだね」
玲雄「オレが行くから、2人は上で待っててくれ」
萌黄「待って」

一人で先へ進もうとする玲雄の腕を掴み、何度か言葉を選んでから意志を固めたように萌黄は真っ直ぐ玲雄を見つめた。

萌黄「私が行くから、玲雄は待ってて」

一瞬唖然として口を空けたが、直ぐに駄目だと引き止める。
危険だから、萌黄が行かなくてもいい、何度語り掛けても桃色の短いツインテールを揺らして萌黄は首を横に振った。

萌黄「大丈夫だよ。...私なんかじゃ、頼りないかな」
玲雄「そんなことない!そんなこと、無いけど...」

違う、と言いながらそれでも行かせたくないのはきっと自分が臆病だから。
獣鴇玲雄は何時だって明るくて、笑顔でなければいけないのに。
彼女を失うことだけは、どうしたって怖くて、ぼろぼろと仮面が剥がれ落ちてしまう。
今だって、きっと酷い顔をしているに違いなかった。

萌黄「大丈夫、絶対帰ってくるよ」

ふわりと包まれた体は暖かくて、思わず涙が零れそうになる。


生きている、ここに居る。
重なった心音がそれを証明している。

コノハ「気をつけてね」
萌黄「うん。いってきます」

暗い暗い階段を、懐中電灯の細い光が頼りなく照らす。
さほど段数は無く十数段程度降りた先に硬い地面があった。
手探りで壁を伝うとスイッチの様な突起に触れ、弾くとちりちりと音を立てて切れかけの蛍光灯が明かりを灯した。
真上の書庫と同じくらいの大きさの部屋に、低い音を立てて動いている黒のモニター。
萌黄がモニターに近づくと、チカチカと点滅する緑の光が画面の中で、まるで星の様に散り散りに瞬いている。
全部で18個、よくよく見ると少しずつ動いていることが分かる。

萌黄「何かは分からないけど、生物兵器じゃなくて良かったぁ」

他にめぼしいものは無い。
ほっと安堵しながら明かりを消して階段を駆け足で上る。

背後で星は、また動いた。

玲雄「萌黄!!!」

部屋に戻ると玲雄が血相を変えて駆け寄ってくる。
怪我もなく無事な様子を見て、良かったと小さく呟く玲雄に、ただいまと笑いかけると漸く玲雄も笑顔を浮かべた。

コノハ「気になる資料も目を通せたし、後はニカちゃんたちと合流してから話そう」
萌黄「...ノアの方舟?それ持っていくの?」
コノハ「うん、ちょっと気になることがあるんだ」


✎︎____________


バッテリーを見つけ取り付ける頃には日も落ちて、すっかり月が昇っていた。
夜になると昼間の暑さが嘘のように涼しい風が肌を撫でる。
夕食は外で星を見ながら食べるというのも中々乙なものだった。
食事を終えた家族たちが段々と車に乗り込む中、禄はぼんやりと空を眺めていた。

「戻らないのか?」

あまりにも月の光が綺麗だったから。
他のものが霞んでしまうくらいに。
大切な、人の顔すらも。

「禄?」

わかる、わかるはずだ。
顔なんか見なくたって何百回だって聞いた声だろう。
落ち着け、そうだ、彼は、


シモン「おい、」
禄「...、シモン」


名前を思い出すと、ふっと焼き付いた光が薄らいで隠していた顔が浮かぶ。
二人分のココアを持ってシモンは禄の隣に並んだ。


禄「夏なのにホットココアかよ」
シモン「別にいいだろ、夜は冷え込むし。...嫌なら飲むな」
禄「いやいや、折角シモンが俺のために入れてくれたココアなんだから有難く頂くよ」

受け取ったマグカップは手袋越しでも温かい。
口をつけるとほろ甘い優しい味のココアが広がって素直に美味しいと思えた。
隣で同じようにちびちびとココアを啜るシモンに伝えようとして、言葉が止まる。

シモン「...何だ?」
禄「何だ、じゃないだろ...。諒には、」
シモン「伝えてない。...まだ、伝えたくないんだ。分かるだろ、お前だって」

きっと、シモンは気づいていた。
禄の進行度が進んでいたことも、彼のことが一瞬分からなくなってしまったことも。
禄は家族に面倒をかけることも、悲しませることもしたくなかった。
恐らくシモンも同じだろう。
まるで月と太陽、正反対の性格なのにこういう所は二人ともよく似ている。
バレたら2人して怒られようか、なんて馬鹿みたいな約束をして。
月の名前に太陽のような女の子を思い浮かべながら、もう少しだけ月を見ていた。


✎︎____________

Fly me to the moon.
Let me play among the stars.
【20XX年8月】▹【20XX年9月】

ーー ーー ーー                 

ーー ーー ーー               

ーー ーー ーー
こちら、最後の楽園です。
生存者の方々は此方まで避難してください。
座標は───、
繰り返します、こちら最後の楽園です。 

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう